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2014,11,27

インドネシア語ができる英語科教員

とにかく見てみたかった! 休暇には様々な場所へ旅行! 私には中学生の頃から夢がありました。海外留学をすることと英語科教員になることです。それは”こんな先生になりたい!”と思えるような多くの先生に出会えてきたこと、またとにかく日本の外に興味がありこの目で世界を見てみたいと思っていました。創価大学は留学制度も充実し、そして毎年多くの教員採用試験合格者を輩出していたので、ここでなら私の目標を達成できると思い、文学部を志望し合格することができました。 入学後からすぐに留学の準備を開始しました。当初は、アメリカやイギリスなどの先進国への留学を考えていましたが、自分の価値観を広げ、将来自身が教員になった時に生徒にとってプラスになればと考え、日本とは全く異なる新興・途上国に留学してみようと決めました。 創価大学の代表として留学でき、奨学金も付与される交換留学の合格を目指し、TOEFL-iBTの学習を開始。「Test Preparation TOEFL」や外国人教員の英語による授業を受け、英語力を磨きました。また外国人留学生とディスカッションするEnglish Forumにも通いつめました。1年生の後期に80回参加したのもいい思い出です(笑)。 最終的には、交換留学試験を受けるときに自分の英語のスコアで受験できる地域であること、英語+1の言語習得をしたいと考え、インドネシア共和国の最高学府であるインドネシア大学への交換留学に応募し、合格することができました。 インドネシア文化を自分の体験を通じて理解 バスケットボール部のみんなと インドネシア留学は、とても苦労しましたが、挑戦的であり有意義な経験となりました。 語学力の向上のためインドネシア語の授業を履修する傍ら、現地の学生のなかへ積極的に飛び込もうと、中学・高校でバスケットボール部に所属した経験を生かし、インドネシア大学人文学部のバスケットボール部に入部しました(学部ごとにクラブがあるんです!)。入部してみたものの、練習開始時間は守らない、練習メニューが決まっていない、コートが整備されておらず走っていて滑ってしまうなど、満足に部活動ができない状態でした。きちんと活動をしていこうとチームメイトに呼びかけましたが、チームの中で日本人は私一人で、つたないインドネシア語なのでなかなか言うことを聞いてもらえませんでした(笑)。言ってダメなら自分の行動を通してチームの意識を変ようと決意し、練習開始時間を何度も伝える、自分で掃除用具を買って練習前に掃除する、また練習中も人一倍走るなど、地道に努力しました。その結果、チームメイトの練習態度も変わり、キャプテンを務めることにもなってしまいました(笑)。インドネシア語を現地の学生と交わりのなかで学び、また思いもよらず海外でリーダーシップを執った経験はとてもプラスになりました。 世界遺産のボロブドゥール寺院 留学中は世界最大のイスラム教徒がいるインドネシアで、イスラム文化への戸惑いもありました。なかでも、アザーンと呼ばれるお祈りの時間を知らせる放送が、モスクから毎朝5時ごろ大音量で流れるのですが、それに慣れるには大分時間がかかりました。また、インドネシア語の学習が思うようにいかなかったりと、英語+1の言語習得という留学前の目標とのギャップに打ちひしがれ、何度も帰国したいと思ったこともありました。それでも、同じインドネシア大学交換留学生の石原勉くんともお互いに励ましあいながら、無事に留学を終えることが出来ました。最終的にはインドネシア語で論文を書き、プレゼンテーションもできるようになり、目標を達成することができたと思います! 帰国後、中学からの夢の実現に向けて 教職キャリアセンターの方と 2014年1月に帰国し、そこからもう1つの目標だった英語科教員になるために、東京都教員採用試験に向けて準備を開始しました。5月に行った教育実習では、中学校1年生の授業を担当しました。今でもありありと思い出せますが、はじめての授業では黒板の前でただ立つだけで、何もできませんでした。 とても悔しく思いました。なので、担当させてもらったバスケットボール部での活動の後、生徒が帰った後の夜の教室で模擬授業を何度も行いながら、翌日の授業に臨んでいました。最終日の研究授業では、生徒がとても楽しそうに授業を受けてくれ、校長先生からも素晴らしかったよという感想をいただくことができました。 実習後は、教職キャリアセンターの講師の方々のあたたかくも厳しい指導を受けながら、教員採用試験に向けてさらに勉強に取り組みました。そして、今秋、無事に東京都教員採用試験に合格することができました。                                 私が教員採用試験に合格することができたのは、決して私の力だけでなく、創立者、家族、また教員採用試験に向けてともに努力してきた友人たちからの応援があったためだと思います。なかでもインドネシア語を教えてくれた先生やインドネシアにできた多くの友人に教員採用試験の合格を喜んでもらえたことは、一生忘れられません。こうした喜びを日本以外にいる人と分かち合えるということ自体が、留学の素晴らしさの1つだと思います。 創価大学には、World Language Centerや教職キャリアセンターなど、夢を実現させるための施設が充実し、そして全力でその夢をサポートしてくれる教職員の方々がいます。留学を実現すること、また通常の授業に加えて教職課程を修了し教員になることの両立は十分できると思います。私は、創価大学で自分の夢を実現することができました。創大生の皆さんにはこの素晴らしい施設と支援を最大限利用し、実力をつけて、創価大学を思う存分楽しんでほしいと思います。 私もこれから、インドネシアでの経験を通し夢を持ち続けることの大切さを生徒たちに話していけるよう、教師という仕事を存分に楽しみたいと思います。
生活
2014,07,08

コロンビア大学ティーチャーズカレッジでの大学院生活!

創価大学創立者が講演された「Milbank Chapel」 創価大学卒業後の2010年8月にコロンビア大学ティーチャーズカレッジ(以下、TC)の英語教授法(TESOL/Teaching English to Speakers of Other Languages)の修士課程に進学し、2012年5月に修了、その後はアメリカの語学学校や大学で英語を教える仕事を半年した後、2013年3月に帰国しました。創価大学の創立者である池田大作先生もTCを訪問され、1996年6月に、「『地球市民』教育への一考察」と題して講演をされたことがあります。 ○授業内容について 音声学の教授と TCのTESOLプログラムでは、Pedagogical Grammar(教育文法)やPhonetics and Phonology(音声学と音韻論)、Second Language Acquisition(第二言語習得)、Second Language Assessment(第二言語教育における評価) など、英語を教えるにあたって必要な知識を主に学びました。中でも、Phonetics and Phonologyの授業が特に印象的でした。授業の最終プロジェクトとして、英語を母国語としない人の英語を録音し、その人が発音した通りに発音記号を使って書き起こします。さらに、授業で学んだ内容を応用しながらその人の発音の特徴を分析していきます。セメスターが終わり、教授のところへそのプロジェクトを取りにいくと、その教授は「あなたのプロジェクトはとても興味深かった。今後のためにも、ちょっとコピーを取らせてもらってもいいか」と言ってくださり、尊敬していた教授にこんなにも褒めていただけたことがとても嬉しく、自信につながりました。その後も、この教授にすすめられ、修士論文でも音声学・音韻論をテーマに書き上げ、教授に大きく評価していただきました。 ○思い出の教授 デイビッド・ハンセン教授と さらに、専門分野の授業だけでなく、分野外の授業を3つ履修することが必修となっています。そこで私は、以前、私が創価高校在学中に来てくださったことのある、デイビッド・ハンセン教授の教えている教育哲学の授業を履修。ハンセン教授も創価高校にいらっしゃった時のことを覚えていてくださり、私が授業を履修したことを大変喜んでくださいました。ハンセン教授は、ジョン・デューイ協会の元会長であるため、授業ではデューイの教育哲学についても学びました。(ちなみにジョン・デューイは、昔、コロンビア大学で教鞭をとっていました)。授業はディスカッションがメインで、ついていくのが大変で、積極的に参加ができず、悔しい思いをして寮に戻ることも多々ありました。それでも、様々なバックグラウンドの学生の話を聞き、今まで学んだことのなかった教育哲学にふれることはとても刺激的でした。 ○実践あるのみ教育実習 担当したCEPの学生達と 通常の授業に加えて、私は3セメスター間の教育実習を行いました。TC構内にあるCommunity English Program(CEP)という語学プログラムがあり、そこで教育実習を行います。TCは、地域とのつながりを大切にしており、このプログラムの生徒は地域に住んでいる大人が対象で、出身国は日本やメキシコ、韓国、ブラジル、ポーランド、インドネシアなど様々で、年齢も20代前半の方から60歳くらいの方まで幅広くいます。実習は、週3日、1日2時間を10週間行います。自分自身が履修している授業と並行して教育実習を行うので、教員経験がない私は、実習の準備と他の授業の課題に毎日追われていました。なかなか上手くいかず、落ち込むこともありましたが、セメスターの最後には、いつも「教え子」の皆さんが嬉しい言葉をかけてくれ、また次も頑張ろうと決意することができました。課題との両立は大変でしたが、実践力がつくので、とても役に立ちました。 ○ティーチャーズカレッジでの葛藤 TCの図書館 前述の通り、TCで学ぶ学生は、様々なバックグラウンドを持っており非常に刺激を受けます。図書館も、グループディスカッションをしている学生や、パソコンに向かって一生懸命課題をこなしている学生でいっぱいで、皆の学びに対する意欲に刺激を受けました。しかし、それと同時に、周りの皆の優秀さに劣等感を感じることもありました。私は皆ほど教員経験があるわけではなかったので、実習の準備も皆の何倍もかかり、また、自身が受けている授業の準備や課題も時間がかかりました。授業中も発言がなかなかできず、場違いなところへ来てしまったなと焦る日々でした。最初は人と比べてしまう傾向が強く、辛いと感じることがたくさんありましたが、「桜梅桃李」との言葉を何度も思い出し、自分は自分のペースで、自分のできる最大限の努力をしようと心を入れ替え、次第に気持ちも楽になり、授業中の発言も増え、皆と学ぶのが楽しくなっていきました。劣等感を感じる気持ちから、「優秀なクラスメイトからたくさん学ぼう」、「お互いの学びに貢献し合おう」という気持ちへと変わっていきました。 ○卒業後、そしてこれから・・・ 卒業式の様子 卒業後は、就職先を探すために様々な学校に履歴書を送りましたが、留学生ということもあって、なかなか雇ってもらえませんでした。しかし、縁あって、夏の終わりに、隣接するニュージャージー州にあるStevens Institute of Technologyという大学で、大学院生を対象としたESLの授業を2つ受け持つことが決まり、1セメスター間でしたが、貴重な経験を積むことができました。また、帰国後は、創価大学ワールドランゲージセンターの助教として、1年間英語の授業を担当させて頂きました。世界最高峰の大学院で学び、様々な経験を積ませていただいて、感謝でいっぱいです。さらに多くの出会いや経験を積んで、是非とも博士課程を目指したいと思います!
交流
2014,02,25

日中友好の架け橋の夢が実現!

南開大学の朝食売り場(卵クレープや肉まんがとてもおいしい!) 「日中友好を頼むね」。創価短大時代に、創立者は私たちに日中友好がいかに大事かを何度も語ってくれました。この「日中友好」という言葉が心に残り、短大を卒業後の2004年、天津の南開大学に語学留学をしました。天津は、北京の隣にあり、貿易の中心として栄える庶民的な都市です。関西人のように親しみやすい人たちと、物価の安さが魅力です。南開大学は、周恩来総理の母校で、人民のために尽くすとの精神を持った歴史のある大学です。いきなり中国に飛び込んでいけたのも、短大2年間で、様々な人たちに励まされ、私にも自分にしかできない使命があると感じたからだと思います。 中国の友人が毎回作ってくれる水餃子 希望に満ちて中国に着いたものの、天津は建設ラッシュで埃だらけ、学生寮の壁は蚊をつぶした跡で真っ赤になっており、正直、「すごいところに来てしまった」と思いました。初めは孤独でたまりませんでした。でも、中国の友人たちは、日本人は自己表現が下手すぎると悪態をつきながらも、毎晩宿題を手伝ってくれたり、休みには実家によんでご飯をご馳走してくれたりと家族のように接してくれました。周りに支えられながら、とにかく語学と中国文学の勉強に励み、南開大学の学部3年生に編入しました。 周池会発足の日(2006年12月5日) 3年生の時、南開大学の紀亜光教授が発起人となり、周恩来・池田大作研究会(以下、周池会)というクラブ団体が発足し、私も毎日参加していました。初めは日本に対していい印象を持っていなかった中国人の学生たちも、周総理と創立者の思想を学びながら交流する中で、同じ世界の市民として友好を築いていこう!という雰囲気に変わっていきました。創大生にも、「建学の三指針をどう実践しているのか」、「創立者の女性教育とは」、「周総理の日本人への影響は」等々、容赦なく質問してきました。この周池会で100名以上の中国人の友人ができ、今も連絡をとりあっています。 北京事務所から見える北京大学 南開大学卒業後、日中の教育交流に携わる仕事がしたいと、日本と中国で就職活動をしていたところ、創大北京事務所の職員のお話を頂き、面接を受けて、2008年夏に北京に移動しました。創価大学北京事務所は、2006年3月に設立され、中国の各大学や研究機関との連絡業務を行っています。中国国内には、創価大学の交流校が45大学、創立者の思想研究所を持つ大学が34大学あり、幅広い交流を展開しています。連携業務以外に、創大ニュースの発信、中国人への研修支援、学生教員交流のサポート、通訳や翻訳業務などを行っています。また、中国に留学している創大生のサポートもしており、平日の午後には多くの創大生が北京事務所に様々な相談をしに来たり、自習をしに来たりしています。  昨年秋、上海師範大学で「池田大作思想国際学術シンポジウム」を開催しました。しかし、その時期、日中関係が非常に緊迫し、日中に関する行事は軒並みキャンセルになり、国際会議は危ないのではないかとの声が日中両国であがりました。しかし、上海師範大学は「池田先生は世界平和のために行動されている方です。こういう時期だからこそ、シンポジウムを開き、平和の心を広げていきたい」と言ってくださいました。その後、上海師範大学と何度も何度も連絡をとり、万全の準備で臨んだ会議は大成功でした。  中国で働く中で、様々な文化の違いにぶつかります。国情も違うので一概には言えませんが、日本人はミクロ的思考、中国人はマクロ的思考だなと感じています。ひとつの行事を開催するにも、準備の過程が違います。日本人は、行事開催のかなり前から緻密に計画を立て、その計画に沿って本番を目指します。準備は早いのですが、計画以外の問題が発生した場合、修正するのに時間がかかる欠点があります。中国人は、行事直前までは詳細な計画は立てず、日本人からしたら、開催できるのだろうかと心配になります。でも、開催直前の状況に合わせて、計画を臨機応変に修正しながら、最後は良いものを作りあげます。どうしたらよいのか悩むことも多いですが、日中両方にとって、一番いい形で橋渡しのような役割ができるよう、今後も楽しみながら働こうと決意しています。 北京事務所職員(上野さん:右) こうして北京事務所で働く中で、多くの中国の方々とお会いします。中国で出会う一人一人を大切にしていこうと決め、今後も、創大生の成長と、日中の教育交流を促進していける北京事務所にできるよう努力してまいります。 創大生のみなさんも、ぜひ世界で様々な違いを楽しんでほしいなと思います。
生活
2013,09,09

創大初! ハノイ国家大学への交換留学

【「always三丁目の夕日」時代】 ナイトマーケットの様子 ハノイでは、表の道路も、裏の路地もすべてが庶民の生活の場であり、街中に人が溢れています。早朝、拍子木を叩きながら麺を売る人、天秤棒でオコワを売るおばさん、パジャマのまま体操をするお姉さん、上半身裸でバトミントンをするおじさんたちで、路上は活気に満ち始めます。昼間は、おじいさんやおばあさんたちがお風呂に置くような小さなプラスチック製の椅子に座り、おつまみであるヒマワリの種を食べながらお茶を飲んで世間話をするまったりした時間。夕暮れになると、どこからともなくお姉さんたちがやってきて、路上に敷いたシートに服を並べます。そしてそれを買いに来る大学帰りの女子学生たちで路上はごった返しになります。ナイトマーケットではお互いもみくちゃになっている学生と商売人で毎晩夏祭り状態。 人間味に溢れている「雑踏」というのがハノイの一番の魅力です。その異国情緒漂う「雑踏」は、日本では決して味わうことはできないでしょう。近代的なビルが建設され、インフラも整えられていく中、伝統的な家屋や昔ながらの人間的な温かみを今も残すハノイは50年前の古き良き日本、「always三丁目の夕日」時代とよく例えられています。 【やさしさに包まれて】 クラスのみんなとハロウィーンパーティー クラクションの嵐の中、洪水のように押し寄せてくるバイクを避けながら、大学に向かいます。そして、いつもの教室のいつもの席で、毎日顔を合わせるクラスメートとともに、決められた授業を受けます。それはまるで高校生生活に戻ったような感覚です。大学では、日系企業の工場への社会科見学や、観光地での修学旅行といった行事に加え、クラス内パーティーなどもいくつもあります。放課後は、友人のバイクの後ろに乗ってそのままコンピューターゲーム屋に行ったり、ビリヤードに行ったり。寮に戻ったあとは、寮生と青マンゴーの木に登ったり、日本語専攻の学生の宿題をみたり、中庭でケマリをして遊びます。  ベトナム人の友人は、何かある度に誘ってくれて、わからないことがあるときは一から丁寧に教えてくれます。たとえ言葉が十分に通じなくても、たとえもう会えないとわかっていても、そんなの全く関係ありませんでした。修学旅行やパーティーといった特別な時間よりも、友人といた授業や休み時間、移動のバスの中や放課後といった何気ない日常のほうが、鮮やかな想い出です。留学生活はいつもベトナム人学生のやさしさにいっぱい包まれていました。 【第二の母国】 道脇にあるお土産屋さん 日越交流40周年という節目に、創大初の交換留学生としてベトナムに留学しました。 そして、ベトナムという国を自分の目で見つめ、肌で感じ、全身でとらえてきました。10ヶ月の間に大学で学んだことも沢山ありますが、異国の地で触れてきたもの、出会った人から受けた影響はとても大きなものでした。 地方の田舎で目の当たりにした未だ残る貧困。ハノイの町並み全体から漂う人の温かさ。“MADE IN JAPAN”が持つ社会的ステータスが故に、異常なまでの日本製製品に対するこだわり。日系大手会社のトップから教わった社会人としての心得と途上国に貢献するという使命感。現地で活躍するOBOGの一晩では語りきれない波乱万丈な人生。右も左もわからないときに面倒を見てくれた寮の友人の優しさ。日本への留学経験がある大学教授の日本とベトナムとの架け橋になるという真っ直ぐな思い。 それらの一つ一つが、自分の考えを大きく変えていきました。留学当初、ハノイのあまりの不便さと汚さに滅入り、日本に帰りたい、二度と海外に行きたくないと考えていた自分が、帰国直前では、将来は必ずこのような国の発展に携わりたいと考えるようになっていました。また、楽しい思い出よりも辛い経験のほうが多かったはずのベトナムが、いつの間にか大好きになっていました。そして第二の母国となっていました。 【冒険】 卒業アルバム用写真でクラスのみんなとジャンプ! たったひとり、そして言葉も通じないゼロからのスタートでした。出発前は大きな夢や目標があっても、いざ現地に降り立ってみると、イメージと大きくかけ離れた現実を目の当たりにして尻込みしてしまいました。話ができない。買い物にもいけない。御飯も食べにいけない。日本ではあんなに希望に満ちていたのに、自分ってこんなに弱いのだと痛感しました。思い切って海外に出てみたものの、そこから先に進む勇気がどうしても出ませんでした。 しかし、そこから友人や現地在住の日本人と出会いを通して、助けてもらいながら、前に進んでいく。そこから冒険して、そして同時に多くの価値にふれて自分が成長していく。それこそが留学の醍醐味なのではないでしょうか。留学を通して今までにない考え方や物の見方ができるようになりました。そして、留学を終えて今までになかった自分の新たな一面に出会うことができました。行くのと行かないのでは、結構人生変わると思います。
学問
2013,07,16

先輩の活躍に刺激を受ける

先輩の活躍に刺激を受ける (右)ダ・ヴィンチ賞を受賞した長谷さん 私の入学時のTOEICスコアは、415点。1年次は大きな目標もなく毎日を過ごしてしまい、2年次になってもスコアに変化はありませんでした。そんな時、同じ部活の先輩がTOEICで”創価大学シュリーマン賞”の基準を満たすスコアを取得しました。その姿を見て、「私もシュリーマン賞をとりたい!」と奮起し、2011年の夏休みから本格的に英語学習を始め、地道に学習を続けました。  すると、2011年12月に受けたTOEICで730点を取得し、2012年3月には805点を取得。私も、シュリーマン賞の基準を満たすスコアを取得することができました。夏休み前は500点も超えていなかったので、約半年で300点以上スコアアップできたことになります。  部活の先輩が卒業されるとき、僕にくれたメッセージは「ダ・ヴィンチ頼んだ!」との一言。必ず達成したいと、モチベーションは高まるばかりでした。しかし、800点を超えてから大きな壁にぶつかり、勉強してもスコアが上がらず困り果てました。半年以上その状態が続き、くじけそうにもなりましたが、その度に先輩との約束を思い出し、あきらめずに挑戦し続けました。  そして2012年12月、ついに930点を取得し、このスコアで”創価大学 ダ・ヴィンチ賞”を頂くことができました。在学中に高得点を取得し、先輩との約束を果たせたことは、これ以上ない程の喜びでした。  入学時と比べると、545点ものスコアアップができました。私は留学の経験もありませんが、地道に努力し続ければ、誰でも高得点を取得できることが示せたと思います。大事なことは、英語の勉強を始めること。そして、目標を明確にし、絶対にその目標を達成しようと努力し続けること。この2つなのかもしれません。 片道2時間の自宅通学… スキマ時間を有効活用 所属している「Pride of SOKA」の仲間と共に 私は神奈川県の藤沢市から、大学まで片道2時間程かけて通学しています。2時間のうち、電車に乗っているのは1時間ほどです。混んでいると座席に座れませんが、英語の勉強は立ったままできるものが多く、座れなくても気にせず勉強していました。電車内では英単語の学習、読書、問題の演習などをしていましたが、最初は無理のない分量で、必ず毎日学習することを心がけました。はじめに英語を学習する習慣をつけたおかげで、徐々に学習する分量を増やしていくことができ、毎日無理なく学習を続けることができました。  通学中、歩いている時間はイヤホンで英語を聞き、耳を英語に慣らしていました。こうすると片道30分ほど英語を聞く時間がとれるので、これも毎日続け、聞き取りの能力が格段に上がりました。自転車に乗っている時間は、イヤホンをかけてはいけないので、頭の中でその日の学習を振り返る時間などにしていました。 情報システム工学科の授業、課題はとても充実していて、良い成績を取るためにも、予習、復習に多くの時間を費やしました。マーチングバンドの部活動「Pride of SOKA」でも活動していたので、部活動に費やす時間もそれなりに多かったと思います。毎日どれだけ英語の学習時間を確保できるかが1番の課題でした。でも、忙しい中で努力することこそが自分を成長させてくれると信じ、また、自分と同じような境遇になる後輩の参考にもなると思い、忙しさに負けず頑張りました。  時間を無駄にしないよう、使える時間を把握し、どの時間に何をやるべきか計画して、実行していました。予定通りにいかないことも多かったのですが、10分でも、5分でもあれば何かしらできるので、細かい時間も有効に使いました。また、授業、課題、英語学習、部活動と、しっかり気持ちを切り替えて取り組んだおかげで、短い時間でも集中し、効率よく学習できたと思っています。 留学と英語学習 創価大学は留学する学生がたくさんいますが、さまざまな理由で留学できない学生も多いと思います。でも、そういった人こそ、英語学習に挑戦してみてほしいと思います。たしかに留学でしか学べないことも多いかもしれませんが、逆に、海外に行かなくても学べることはたくさんあるはずです。厳しい環境の中でも日本で努力し続け、英語の力を伸ばし、活躍する人の存在も重要だと思います。そういった人たちも、立派なグローバル人材と言えるのではないでしょうか。  もし、英語を学習したい!と思ったら、とにかく勉強を始めてみましょう。最初はあせらず、少しずつで良いのです。壁にぶつかっても、あきらめずに挑戦し続けてみてください。たとえ一回挫折しても、いつでもやり直せます。苦難を乗り越えた先に、きっと成長した自分が待っていると思います。  もし、英語の自主学習方法に悩んだら、ぜひ創価大学World Language Centerの「英語学習相談室」を利用してみてください。相談は日本語で大丈夫ですし、アドバイザーが、みなさんに合わせた学習プランを考えるお手伝いをします。私も、学生アドバイザーとして、みなさんのことをお待ちしています!
生活
2013,07,04

ナイロビ大学LIFE

ナイロビ大生の朝は早い、でも「Pole pole」  ナイロビ大生の1日は朝早くから始まります。6時には起床し、各寮にある小さな売店で朝ごはんを買い、シャワーを浴びて8時からの講義に向かいます。約3時間に及ぶ講義を受け、お昼時間になればご飯を食べながら敷地内の芝生の上で友達としゃべったり、昼寝をしたり、温かい日差しの中でそれぞれの時間を過ごします。授業を終え、夕方になれば、野菜や豆を安く買える市場で食材を買い、それぞれ寮の部屋で自炊をします。トマト1個が5ケニアシリング(約5円)と、日本では考えられない価格で野菜を買うことができます。 また、ケニアの人びとは、朝は早いものの行動自体は全体的にゆっくりしています。講義開始やミーティングなど、日本での「時間厳守!」は通用しません。スワヒリ語には“Pole pole”(ゆっくり)という言葉があり、まさにこの言葉通りに日々、いろいろなことがゆっくりと進んでいきます。 とにかく言語がいっぱい!  ナイロビ大学の講義の中ではほとんど英語しか使用されませんが、日常生活においてはもう一つの公用語であるスワヒリ語がよく使われます。先ほど紹介した市場でもスワヒリ語の使用が大半です。さらにナイロビには英語とスワヒリ語を混ぜた「シェン」という若者言葉も存在します。その3つ言葉の加え、ケニアに42ある民族はそれぞれの言語を持っているので、ケニアには膨大な言語があふれていると言えます。私自身は通常、英語で現地の学生とコミュニケーションを取っていますが、時折スワヒリ語やシェンで挨拶します。その他キクユ族、ルーヤ族の言葉など、各民族の挨拶をしてみるとその民族出身の人に喜ばれます。 ホスピタリティあふれるナイロビ大の友人たち  ナイロビ大学で学ぶ学生の大半は、国家試験によって選ばれ、政府から奨学金を得て勉強しています。みな優秀です。また、私はナイロビ大で生活する中で、大変な状況の中、一生懸命勉強している学生を多く見ました。貧しい家の生まれで奨学金と自分のバイト代だけで生活している人や、親に勘当されても勉強したいという意欲を持ち続け、何とかナイロビ大まで来た30代近い人などがいます。そして、とても心が打たれたことは、大変な状況の中にいても彼らはいつもホスピタリティを欠かさないということでした。1日100円で暮らすある友人は、私が彼の部屋に行ったときに「おなかいっぱいになるまで食べるんだよ!」と現地料理をお腹がはちきれそうになるまでご馳走してくれました。自分の生活が大変な中、私を喜ばせようとしてくれた気持ちが本当に嬉しかったです。  ナイロビで生活する中で大変なこともありましたが、このように優秀で、ホスピタリティあふれるナイロビ大の友人たちと共に暮らし学ぶことができ、「ケニアに来てよかった!」と今は心から思っています。
交流
2013,05,23

世界の一流大学・コーネル大学大学院での日々

なぜ海外大学院を志したのか 私が卒業後の進路として海外大学院を真剣に志すようになったきっかけは、キャリアセンターが主催する10月就活合宿でした。そこで出会った創価大学のOBの方から触発を受け、「プロフェッショナルとしての実力をつけて社会に出よう」「そのためにアメリカの一流大学院へいこう」と決心しました。 しかし準備期間は非常に限られており、なおかつ私はそれまでTOEFL iBTを受けたことがありませんでした。しかし毎日10時間以上の勉強を自身に課し、2か月ほどでiBT100点を超すスコアを獲得し、出願に間に合わせることができました。そして数カ月後、旅先の香港で合格通知のメールをもらい、晴れてコーネル大学前期博士課程への入学が決まりました。そして2012年3月に創価大学を卒業し、8月に自信に満ち溢れてアメリカへと飛び立ちました。 世界を代表する一流校。クラスメイトには、政府の官僚やNATO軍の指揮官まで! コーネル大学は、Harvard大学やColumbia大学などアメリカ東海岸名門8校で構成されるIvy League(アイビーリーグ)の一校で、常に世界の大学ランキング上位校です。私は公共政策プログラムで学んでおり、卒業時にはMaster of Public Administration(公共政策修士号)を取得します。世界を代表する一流校ということもあり、クラスメートは“化け物”ばかりです。各国政府の官僚、世界トップのコンサルティング会社で経験を積んできた人、国際機関出身者など。秋セメスターの勉強グループの仲間は、NATO軍の指揮官でした。更に教授陣には、国連やワールドバンク、ILOなどの国際機関や海外政府からアドバイスを直々に求められる人が数多くいます。 地元政府がクライアントの授業や、パナマ大統領が講義するプログラムも クラスは実践的なものが数多くあり、私も地元政府をクライアントとして、年配者向けプログラム改善の為に、コンサルタントとして携わりました。チームメートはアメリカ人・中国人・ブラジル人と、国際色豊かなメンバーです。その授業では、日本政府の免許返納制度を取り上げてプレゼンをしましたが、オーディエンスの興味をかなり引きました。 ロシアの学校をクライアントとしてコンサルティングを行う授業では、実際にロシアに出向いてクライアントと会議し、調査を行います。他にもアフリカやアジアの政府機関や企業をクライアントとして、実践力を学ぶプログラムもあります。 先日はパナマの現大統領が私のプログラムにて講義をしました。これだけのことができるのは、一流大学ならではだと思います。 100人以上が応募した、長期インターンシップを勝ち取る 私は現在TA(Teaching Assistant)として、週6つのクラス計70人に日本語を教えています。かなり時間がかかる仕事で責任も重大ですので大変ですが、これにより私の年間400万円の授業料も無料になりますので非常に助かっています。何より、創立者が言われる教育の重要性を教える側として経験できる貴重な機会だと感じています。また、キャリアアップの為に民間セクターでのインターンシップを、と決意していた私は、昨年10月、100人以上の応募者の中で唯一、大手外資系投資銀行から長期インターンシップも勝ち取ることができました。 創価大学で得た力が、この一流大学で活きています 創価大学法学部で得たロジカルシンキング。 充実した留学制度と支援で実現したシンガポール留学、そして培った英語力。 文化の差異を乗り越える力と国際的視野。 何より、創価大学5年間で得た、どこまでも一人の為に尽くす『創価マインド』。 これらの力を得たおかげで、一流の仲間たちからアドバイスを求められる事も多々あります。 後輩の皆さんには創価大学を思う存分に満喫し、施設と支援を最大限利用し、勉強においても精神においても本物の実力をつけて頂きたいです。 そして日本にとどまることなく、数年後、共に世界を舞台に闘いましょう。
交流
2013,04,25

東欧―ブルガリアライフ

お互いに声を掛け合う 「フシチコ・フーバヴォ(最高の一日を)!」 モスクワを経由して約16時間。第一印象は「ここはヨーロッパなの?」。それもそのはず、ここは東欧・ブルガリア。歴史的にも地理的にも、西洋文明と東洋文明が交じり合った国。「東西文明の十字路」その歴史を直感的に感じました。公用語はブルガリア語。 周りはバルカン山脈、そして黒海に囲まれ、冬はスキー、夏は海にと楽しめる最高のロケーション。ブルガリア人の人柄は“温かい”。お買いものの際、「フシチコ・フーバヴォ(最高の一日を)!」「イ・ナ・ヴァス(あなたも)!」と声を掛け合うが、この言葉は誰をも笑顔にさせます。 ところで、皆さんはブルガリア料理と聞いて何を思い浮かべますか?ブルガリア料理ではチーズをふんだんに使います。特にお薦めは「ヴァーニツァ」と呼ばれるチーズパイ。ブルガリア人はこれを朝食に食べます。お店のどこにでも売られていますが、中でも家庭で作られたバーニツァは本当に絶品。友達の自宅で食べさせて頂いたのですが、今まで食べたバーニツァの中で一番美味しかったです。 週1回、日本語文化のクラスを受け持ち子供たちと交流 ブルガリアでの課外活動ですが、小学校で週に1回、子供たちに日本語文化のクラスを受け持って、現地の子供たちと交流しました。 折り紙や塗り絵、会話、数字を勉強したりしました。日本とブルガリア―距離は遠いですが、こんなにも日本に対して興味を持ってくれている子供たちがいる。私の授業の都合上、週に1回で行わせて頂いていましたが、待ってましたと言わんばかりの迫力で抱きしめて出迎えてくれる瞬間は、この上ない幸せでした(笑) そして、私のブルガリアライフで最も関わった、ソフィア大・日本語学科の学生について。日本語のみならず、文化まで知り尽くしている彼ら。よく一緒に過ごしました。私はブルガリア語、彼らは日本語で会話したがり(笑)、日本料理を一緒に作ったり、ブルガリア料理を一緒に作ったり、観光したり、山旅行に行ったり、文化祭をしたり。彼らと出会って、ブルガリア語がもっと好きになりました。ロシア語に似ているが微妙に違う。学べは学ぶほど面白く、歴史を感じさせる言語、それがブルガリア語だと思います。 ブルガリアの伝統行事「バーバ・マルタ」を体験! 最後に、ブルガリアの伝統行事「バーバ・マルタ」について。毎年3月1日に春の到来をお祝いします。 バーバとはブルガリア語で「おばあちゃん」、マルタとは「3月」の意味。3月1日、友達・家族に「バーバ・マルタおめでとう!」と言って、“マルテニッツァ”と呼ばれる赤と白のブレスレットや人形をプレゼントし合います。 赤は健康と強さ、白は長寿を意味。 3月中に、こうのとりを見かけるまで自分の身に着け、見つけたら木にマルテニッツァをくくりつける。 そんな3月1日。初めての経験でしたが、街のどこでもこの風景が見られ、なんとも素敵な一日でした。 かつて、オスマン帝国に500年もの間、支配され続けた過去。その歴史を乗り越えたからこそ、ブルガリア人の「母国愛」は強いのかもしれないと感じます。
発見
2013,04,13

ブルネイでの留学生活

「お金持ちの国」学生は皆、車で通学! ブルネイ国歌作詞作曲をされた方と 「なにがなんでも海外へ!」 強い気持ちで国際課の交換留学試験に2度挑戦し、ブルネイダルサラーム大学への交換留学が決定しました。 ブルネイについては、留学前にも調べましたが、現地に到着し留学生活の中で学んでいきました。 人口40万人、石油LNG資源に潤い、大学の学士までの教育費と所得税が社会福祉として補償されています。 そのような国は世界には類を見ないのではないかと思います。 学生は皆車で通学しますし、お金持ちの国と呼ばれるだけあって、フェラーリやランボルギーニといった高級車を頻繁に見かけます。 統計学と数学、会計学。すべて英語です 現地の学生と香川大学医学研修生と 創価大学では経済学を専攻していましたが、ブルネイ大学では統計学と数学、会計学を学びました。 授業は全て英語です。現地の学生は普段の生活でも英語で会話をします。 小学1年生のころから、英語を勉強しているので、驚くほどに流暢です。 ブルネイでの生活は、必然的に英語でのコミュニケーションを私に強制しました。友達と英語で意志疎通をする難しさ、理解できた時の喜びは日本では体感できなかった感動があります。 また日本人が大学内で私一人である環境も非常に重要な経験でした。 ブルネイの日本大使館によれば、150人程度の邦人が現地で暮らしています。大学には様々な国籍を持つ学生がいますが、日本に関心を持つ学生が非常に多く、よく様々なことを質問されました。 人生を確実に変えた出来事 水上村へと向かう船 ある時、日本語の授業に呼ばれ、「学生の質問に1時間答えてくれ」という先生からの頼みがありました。 その日までに日本の歴史、特に近現代史、日本人の精神性を形作る儒教、神道、仏教精神、アベノミクスなど様々なことを事前に調査しました。30冊程度読んだと思います。 「日本人として日本を語るからには、大きな責任がある」と思いました。 日本人としてのアイデンティティが初めて私の中に生まれた瞬間でした。人生を確実に変えた出来事です。 留学の目的は「世界を知るため」だと思っていましたが、実際は「日本とその土地に生まれた自分との関係を客観的に考えるためだと」いう側面もあると思います。 「水は富の象徴」一人あたり1日の水使用量は世界一 友人とビーチにて 日本の国営放送会社とその製作会社の依頼で、その原因を現地のカメラスタッフと邦人のコーディネーターの方とロケをおこない、調査しました。 ブルネイは政府の歳入の9割が天然資源です。 水道代を日本の6分の1と低く設定されています。そして、「水は富の象徴」との考えがあり、週に2回車の洗車のために専門店にいくほど、水を大量に使用します。 日本では考えられない水の使いっぷりにびっくりしました。 最終的に日本のテレビでブルネイが紹介されましたが、ブルネイに対する日本国内の認知度は、他の諸外国と比較して低いと思います。 しかし、ブルネイは石油危機の際に、適正な価格による石油資源天然ガスの供給をして日本経済を支えてくれた恩義ある国です。同時に日本企業による出資と技術によって、石油天然資源の採掘が発展した深い縁のある国です。 今回の番組は水というテーマでしたが、ブルネイという名前だけでもお伝えすることができてよかったと思います。 これからも両国が友好な関係を維持するために、小さいことでもできることをしていきたいと思います。 留学は「第2の故郷をつくる」といいます。ブルネイにまた訪れる際は「帰る」ということですし、ブルネイの友人も日本に来てもらいたいと思います。 そして、これからも創価大学とブルネイ大学から双方向で学生が交流することを願っております。
向上
2013,04,08

バージニアで見つけた人と人との繋がり

アメリカに居ながらヨーロッパの雰囲気も感じることができます メアリーボールドウィン大学はアメリカ・バージニア州の由緒ある女子大学です。大学の位置するスタントンは、自然あふれるシェナンドア・バレーの山々に囲まれた歴史ある小さな街で、ダウンタウンにはたくさんのアンティークショップやカフェ、可愛らしいアイスクリーム屋さんや映画館もあります。 ビクトリア建築様式で建てられた美しい街並みを散歩しながら、アメリカに居ながらヨーロッパの雰囲気も感じることができるのがスタントンの素敵なところです。 また、この街に住む人々はとても親切です。 すれ違い様にもらう笑顔のあいさつには、最初は驚きましたが、東京育ちの私にとってとても新鮮で嬉しいものでした。 ボランティアを通じ、現地の人と交流。英語力もアップ! メアリーボールドウィン大学は小規模のクラス編制でほとんどの生徒が寮で生活しているので、落ち着いて勉強に集中するためにはとてもいい環境ですが、都心部から離れている分、休日などに遊びにいける場所が多くありません。 都会での暮らしに慣れていた私にとって、大きな生活の変化に最初は戸惑うことがたくさんありました。 しかし、せっかく夢だった留学に来られたのだからたくさん色々なことを経験しなければ!と思い、前期のセメスターでは地域貢献について勉強する授業を取りました。実際のボランティア活動を通して人と人との繋がりについて考えるこの授業では、授業の無い時間や休日を利用して、コミュニティガーデンの整備、猫の里親探しや学童保育サービス、地元のアーティストの支援活動等、さまざまな場所でボランティアを体験しました。そして、この授業をきっかけに、たくさんのスタントンに住む人々と知り合うことができ、毎週の休みが本当に楽しみになりました。初対面の私に対して、どの団体の人からも本当に親切に接してもらい、その方々との会話を通して自分の英語力も上がっていきました。 頼みこんで出版インターンも経験。人とのつながりの大切さ実感 授業が終わり、後期のセメスターに入ってからは、毎週末の老人ホームでのボランティア活動をはじめ、また、ボランティアをきっかけに知り合った方の事務所に頼み込んでインターンとして働かせてもらえるようにもなりました。 インターン先の事務所では、スタントンに住むローカルアーティストの詩と散文を編集して出版するための仕事を手伝わせてもらい、そのなかで、スタントンの歴史的資料を目にする機会があったり、ラジオ局の収録を見学させてもらったりと、貴重な体験をすることができました。 さまざまな形で地域の活性化に関わらせてもらうことで、アメリカでも日本でも関係なく、人と人とのつながりが一番大切だということを学ぶことができました。 こうしてつながれたたくさんの地元の人々との出会いは、私の人生の中でほんの一瞬の出来事かもしれませんが、私にとって大切な心の財産になったと思っています。 小学生の頃からずっと人とのコミュニケーションの下手さについて悩んでいた私ですが、自ら勇気を出してだれかに話しかけ、行動することで得られた経験のおかげで、自分の英語力やコミュニケーション能力に少しずつ自信を持つことができました。 まったく新しい環境だったからこそ、思い切って挑戦することができたのだと思います。 自分の周りの環境を形作っていくのは自分自身です。 変化を恐れず、これからもどんどん新しいことに挑戦し続けられる私でありたいと思います。
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